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20210909

何かを学んで、変化をするためには楽しまなければならない。
この楽しむとは、具体的のどうすれば楽しめるのだろう?

学ぶというイメージの中に、やり方を繰り返し頑張って、身につけ、無意識に使えるまで演練するという前提が刷り込まれている。
できない人間は負け犬
自己責任
そんな言葉で、思い込まされている。

できない時の恐怖が植えつけられてしまっている感じがする。

toiee.labのチームの一員となり、今は、もう一つの違う学びへのアプローチの感覚がある。

ゆっくり学ぶ、急がない。
できるようになる。わかるようになる。
そんな気持ちを捨ててしまう。

わかるようになるのは、いつの間にかわかってしまっているし、わかったと思った瞬間に次のわからないが見えてくる。
できたも、できたと思った瞬間に、次のできないが見えてくる。

次々に出てくる予想外のことに対処するためには、同じやり方だけを身に付けていたのではまったく対応できない気がする。

どうせ、いつまで経ってもできないわからない状態は一生続くのだから、いろいろなアプローチ、考え方、やり方とさまざまなやり方で、できること、わかったことにアプローチをしていく。
そのことで、そのわかった、できたの本質がつかめて、
未来の予測につながり、その変化に応じた対応を取れるようになれると思う。

自分の知っている事柄を、別のやり方で、またもう一つのやり方で、さらに3つ目のやり方でもできるようにしてくれる学習こそが、重要な学習。
(フェルデンクライス、心をひらく体のレッスン)

そのことが、楽しいにつながるような気がする。
なぜなら、新しくチャレンジすることが、ほんとにわからない、できないことだとしたら、やった結果をどうフィードバックしたら良いのかもわからない。
その結果、人の評価を常に気にしていなければならない。

それは多分一生、面白くないと思う。

すぐ新しいこと、できないことを克服しようとして、それができるまで努力する、できないやつは努力が足りないという意識を植え付けられてしまっている。

そして、速くできないとダメだと思い込んでいる。

物事は速くやろうとすると、すでに身に付いてしまった自動的な動きを呼び起こしてしまう。
そのために気がつけば同じことをしている。

同じことをやって、違う結果を望むそれを人は狂気という
とアインシュタインも言っている。

まさにそのことを60年間以上やってきてしまった。

今までは、何かのスキルを身につけたら、それで会社勤めはなんとか定年まで勤め上がることができた。
しかし、今の時代、大会社でもあっという間に潰れてしまう。

社員を大切にとか口で入っていても、最後は管財人が入り、有無を言わせず弱いものから切り捨てていく。
自分の人生に大変革が訪れない保証はこれから先は一切ない。

自分の生存のための学習能力を最大限伸ばして、大変革に対応できる自分自身を作らなければならない。

そのためには、学ぶこと自体の自分の中の定義を書き換えなければならない。

 

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